シューベルトのピアノ・ソナタを聴き、子どもの喧嘩を仲裁する

2005年10月8日(土)

 午後はシューベルトの最後のピアノ・ソナタ第21番を聴く。最初はアファナシエフ、二番目はカーゾン、三番目はポリーニと流して聴き比べた。アファナシエフのピアノは響きが何とも美しかったが、内容に深みが欠けているように思えた。カーゾンシューベルトンの真の姿を伝えているようなニュアンスに富んだ演奏。ポリーニはよく彫琢された演奏で、もっともシューベルトの可能性を拡げているが、緊張を強いられるので3回目に聞くのはちと辛かった。カーゾン盤をもう一度じっくり聴きたいと思う。カーゾンの第17番もアマゾンに注文してあるがまだ届かない。待ち遠しい。

 シューベルトを聴き疲れたので夕方デジカメを首から下げて散歩に出た。雲が奇麗だったので何枚か撮影する。浅川の土手を歩き、陵南公園へ。川原で裸で水遊びをしている子どもがいた。そちらに近づいて行くと、水遊びをしていたのは男の子が2人、女の子が3人だったが、おじさん、助けて、と女の子たちがいう。どうやら川の向こう岸にいる子どもと何か言い合いになったらしく、向こう岸にいた男の一人が上流の橋を渡って走って近づいてくるのが見える。こちらの子どもたちは自転車で逃げようとしているのだが鉤が見つからない子がいてもたついている。走ってきた男の子からも事情を聞こうと、待て!と叫んだが、男の子は制止を振り切り、自転車で逃げる一人の男の子を猛然と追いかけて行く。逃げた男の子はパンツ一枚の裸である。
 逃げおおせたと思ったが、仲間の子どもたちが捕まったと叫ぶので走って行くと、2人はにらみ合い罵りあっている。一触即発の場面だ。2人の間に分け入り理由を聞けば、水遊びをしていた男の子は水切りをしていたのだというが、投げた石が対岸を散歩していたおばさんに当たったのだと追いかけた方は言い、追いかけられた方は石は当たっていないし、そっちが先に文句を言ったんじゃないかと反論する。こちらとしては両人の主張をじっくり聞いてどちらが正しいか判断したかったがそんな暇もなかったので、喧嘩はどちらも少しずつ悪いのだから、とりあえずお互いに悪かったところを謝り、握手しなさいと勧める。握手の意味まで解説する。追いかけた子どもは握手に応じる様子を見せたが、追いかけられた方はいやだという。じゃあ、まずおじさんと握手しようかと言ってもだめで、追いかけた子と、もう一人の別の男の子と握手して何とかその場を修めたが、追いかけられた子が握手を拒んだことで追いかけた子は何とも釈然としない表情をしていた。
 しかし、何はともあれ殴り合いの喧嘩などにならなくてよかった、喧嘩の背景には同じ川を挟んで違う小学校に通う子どもたち長年にわたる対立があるのではないかなどと考えながら、橋を渡り対岸の土手を歩いていた。と、3台の自転車が路地から飛び出してくると、下流の橋に向かって走って行くのが見えた。だいぶ薄暗くなってきていたが、先頭を走っているのは先ほど追いかけた子どもだ。先に追いかけたのは彼一人だったが、対岸には双子の兄弟もいたと話していたから、さてはまだ怒りが収まらず2人を引き連れてもう一度決着をつけに行くつもりだなと思ったので、帰宅は一時取り止めて再び公園に向かう。
 水遊びをしていた子どもたちがもう家に帰っていればいいのだがなあと思いながら公園の入口を入ると、数台の自転車がやってくる。目ざとく女の子たちがぼくを見つけて、また、助けてと言う。件の2人がまた言い争いをしているので、ここは演技でもよいから怒っているところを見せなければいけないと思い、おじさんも忙しいのに仲裁に入ったのに、仲裁したおじさんの顔を潰すつもりなのかと大声を出し、水遊びをしていた子どもたちに帰りなさいという。彼らが去った後、3人の子どもをさらに諭していると、双子の一人が、今日のことを帰ってお母さんに話したら、もう一度もどってけじめをつけてらっしゃいと言われたのだという。母親の意図はわからないではないが、簡単にけじめというが、言い争いが再燃するだけだろう。しかし、このときわかったのは、この3人の子どもが石を投げて遊んでいた子どもたちに注意したのは、正義感からだったのだろうということだ。どこかに川を挟んでの対立感情があったとしても、子どもたちは自分たちの正義を信じていればこそ、母親にいきさつを話し、けじめということになったのだろう。子どもたちに話していると、犬の散歩をしていた男性がどうしたんだと子どもたちに声をかけた。後で聞けば、最初に追いかけてきた男の子との父親だった。
 今度は父親にこちらがいきさつを話す番になったが、何だか子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。これだから仲裁は難しい。仲裁は時の氏神というが、やはり喧嘩の原因をよく調べずに仲裁してしまうのはよくないようだ。子どもの仲裁でも難儀なのだから、ましてや国際紛争など手に負えるものではない。