ゆるい時間が流れる大塩温泉館(Sep. 25, 2008)

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 ツーリングに行こうと昨夜はめずらしく早寝(といっても午前零時だが)をしたのに、目が覚めたのは8時である。ツーリングの期待や緊張よりも休日の安堵と弛緩が勝ったのだろう。
 ゆっくり寝てしまった上に、空模様が芳しくない。昨日はさわやかな秋晴れの一日だったので今日も当然よい天気だと思っていただけにショックだ。ヤフーの天気予報をチェックすると、走ろうと思っていた信州方面は傘マークである。
 今回のツーリングにはミッションがあって、グレコ母さんからどこかよい温泉を見つけてきてちょうだいと言われていた。信州が駄目なら他はどうかと予報を再度チェックすると、太陽のマークが出ているのは静岡県だけである。仕方ない久しぶりに伊豆半島を走ろうかと思い、下田の金谷旅館の千人風呂をインターネットで検索する。
 もうひとつ気が乗らずぐずぐしていたら出発は9時45分になってしまった。マンションの駐車場からセングレンドを道に出しながらもまだ行き先に悩んでいた。セングレンドにまたがって前方を見つめ、300メートル先のT字路まで走って、ぎりぎりのところで右に行くか左に行くか決めようとセルボタンに指を伸ばそうとしたとき、胸のポケットの携帯が振動した。
 グレコ母さんから電話かなと思って受信ボタンを押すと、相手はSくんだった。昨日から岐阜方面にツーリングに行っているのに何事かと思ったら、今、あさひ(飛騨高山近くの道の駅だ)にいるが、これから伊那に抜けるのでどこかで落ち合わないかという。申し出はありがたいが、今日はまったく中央道を走ることを考えていなかったので困った。今、軽井沢方面に行くか、伊豆へ行くか決めかねていることをは話し、どちらに行くかわからないが、いずれにせよ、後で携帯の留守電に合流できる
かどうか入れておくと答えた。
 T字路では結局右に折れた。右を選んだということは、圏央道か中央道か、2つの選択肢があるということだが、右に折れた瞬間目的地は定まった。やはり昨夜オートバイ雑誌などを開いて検討したように、圏央道、関越道と走り、長野県上田市辺りの温泉、鹿教温泉、霊泉寺温泉、大塩温泉のどれかに入湯することにした。
 圏央道八王子西インターから鶴ヶ島ジャンクション方面に行けないのが、出発時間が遅かっただけに残念である。日の出インターまでの時間がほんとうにもったいない。
 あやしい空模様をみながら、それでも順調に、圏央道、関越道を走る。日の出インターの入り口で白バイを見かけたのであまい飛ばさないように心がけた。白バイは高速で見かけたわけではないけれども、パトカーや白バイを見かけたら、どこであろうと、終日慎重に走ることに決めているのだ。
 11時半、上里SAで休憩。Sくんの留守電に上里にいると伝言を残しておく。地図を開いてルートを検討。上信越自動車道下仁田インターで高速を下り、国道254号を走ることに決めた。
 国道254号線を走るのは初めてではないが、下仁田から佐久に向かって走るのは初めてである。信州街道(姫街道)とも呼ばれているように、いかにも街道筋の風情がなつかしい国道だ。軽井沢方面への分
かれ道(県道43号)辺りまでは大型トラックが2台前をふさいでいたのでいらだったが、2台を追い越してしまうと道路はセングレンドとぼくだけのものになった。内山峠のワインディングも気持ちよく走れ
た。荒船山が灰色の雲の下で奇岩城のように聳え立っている。
 長い内山トンネルを抜けると、長い下り坂が続く。この辺りからコスモス街道と呼ばれるようなので道の両側を注意して見ていたが、ときどき、ひょろ長いのが1本2本と生えているだけなのでがっかりしていると、そのうち道の両側はコスモスだらけになった。駐車場に車を停めてコスモスを楽しんでいる人たちもいる。信州の田園が広がる。ちらっと青空が見えるのがうれしい。
 佐久からはナビに丸子町の役場を設定して走る。導かれたのは上信越道の佐久インターで、下仁田から下道を走ったことでロスした時間を少しでも取り返そうと、東部湯の丸インターまで高速を利用した。
 東部湯の丸インターからは県道81号、国道252号、国道154号を丸子方面に走る。国道152号は丘陵地帯を走るすてきな道で、この道も丸子方面から佐久方面に向かって走ることが多く、丸子方面に向かって走るのはめずらしく、ほんとうに久しぶりだ。
 時刻はもう2時。国道254号線を松本方面に走りながら、蕎麦屋を探すが見当たらない。セブンイレブンでトイレを借り、この先に蕎麦屋はありますかと聞けば、数キロ先にあるという。
 霊泉寺温泉入り口の標識、大塩温泉の標識を過ぎてしばらく走ると、奈賀井という十割そばの店があった。時刻が時刻だけに駐車場には車が1台停まっているだけで、店に入ると白シャツにネクタイの若い人が遅い昼食を食べていた。ぼくはサービス品だというそばを頼む。本来1600円以上する大盛り(2枚分)が1200円ほどで食べられるという。朱色の漆のお椀にもられてそばが出てきた。なかなか美味い。
 若い客が勘定をして出て行くと、客が絶えたこともあり、主人がそばに来たのでおしゃべりをする。なかなか知識の豊富な主人でそばにまつわる薀蓄はもとよりさまざまな話を楽しく聞かせてもらった。鹿教温泉には、脳梗塞で倒れた元首相とか、有名女優の父親とか、日本のお母さんとして一時代を築いた女優なども湯治していたという。
 主人に送られて、すぐ近くだという鹿教温泉に行ってみることにした。国道から右に分岐する上り坂を上っていくと温泉街である。湯治客らしき人の姿も見られたけれども、やけに閑散としている。蕎麦屋の主人に教えてもらった駐車場や共同風呂が見つからない。土地の人にも尋ねたけれども要領を得ない。温泉街を往復したがわからないので面倒になり、鹿教温泉の入湯は諦めた。
 しかし、温泉は諦めるわけにいかない。大塩温泉か、霊泉寺温泉か、どちらかに入湯して帰らないとグレコ母さんに怒られるだろう。国道を丸子方面にもどり、蕎麦屋の前を通り過ぎてほどなくして、大塩温泉の入り口があった。坂道を山に向かって上る。すぐに道が二股に分かれていて、真っ直ぐ行くのならば右の道だが、工事中という標識が出ている上に、何か道がやけに荒れている。
 ここも駄目かと思ったが、左の道に曲がってみると、人家が並んでいるがやけに道が細くなる。小さい公民館がある、その前に3,4台車の停まれるスペースがあったので、ユーターンをしようと苦労していると、近くの畑に人影があった。ここまで来たのだから、その人に温泉の場所だけでも聞いてみようとオートバイのエンジンを切った。
 畑仕事をしていたおばあさんに温泉の場所を聞くと、それがそうだよと指差すのはまさにセングレンドを停めた公民館だ。そういえば、雑誌には大塩温泉館というのは公民館だと書いてあったではないか。
 ペンキがはげ,錆が浮いたいかにもくたびれた公民館は、開いているのか、閉まっているのか、外から見たのではわからなかったが、「引く」と書かれたガラス戸を引くとドアは開いた。受付の事務所をのぞくが無人である。下駄箱には青い小さなズック靴が一足ある。目の前に木箱があり、大人は200円だと書かれている。正直に200円投入する。
 男と書かれたドアを押して入ると、そこはすぐ脱衣所で、ちょうど小柄なおじいさんが風呂場から出てきたところと鉢合わせしてしまった。服を脱ぎながら見ると、用便してから湯に入ってくださいなどと大書してある。
 風呂場は、三角形の大き目の湯船と小さな長方形の湯船からなっていたが、まったく飾り気はなかった。まず三角形の湯船に身を沈めてみる。畑仕事をしているおばあさんが2時から沸かしているはずだ
と言っていたが、ぬるめのやわらかく気持ちのよい湯であった。長方形の方は少し温度が高めであったが、それでも少しぬるめであった。長時間入っていたかったけれども、汗を流しただけで出た。さっぱりした。
 脱衣所にはまだおじいさんがいて、ときどき気持ちよさそうにうなりごえを上げていた。大塩温泉のことを話してくれるが、ときどき思い出したように、まるで独り言のようにいうので、適当に相槌をうっていた。
 外で出発の準備をしていると、軽自動車で老夫婦がやってきた。先のおじいさんもようやく出てきた。大きいなあ、どのくらい?と聞くので、1600ccですと答える。去り際に、がんばって、と励ましてく
れた。
 霊泉寺温泉にも入りたかったが、もう時刻も遅くなったので別の機会にゆずることにした。有料の三才山トンネルを抜けて松本から長野道、中央高速経由で帰ることにした。三才山トンネルは何度も抜けたことがあるが、松本の美ヶ原温泉蕎麦屋みやまに新そばを食べに来たときに帰途通っただかだったので、丸子方面から松本に抜けるのは初めてである。今日は走りなれた道ばかりだったが、いつも同じ方向ばかりだったので、初めて尽くしで新鮮であった。
 松本市内を抜けてインターに向かっている途中雨が降り始めた。しかし、幸いにも大降りになることなく、さほど濡れずにすんだ。
 長坂の辺りで時刻を確認すると5時を回っていた。韮崎インターで一度高速を下り、再度高速にのる。5時から8時まで、100キロ以内の通勤割引を利用しようというのだ。しかし、甲府南インター付近でガソリンの残量が少なくなったという警告が点灯、ガソリンスタンドのある談合坂SAまで何とかもつだろうと思ったが、高速上でガス欠で立ち往生するのもばからしいので勝沼イン
ターで高速を下りる。
 ガソリンを入れて再度高速にのるのも業腹なので、大和村の甲州街道沿いのガソリンスタンドで給油すると、そのまま大月まで甲州街道を走り、大月から高速の入って帰る。
 帰宅は7時半。走行距離は長島のホームランの数と同じ444キロであった。