佐田啓二(Oct. 17, 2011)

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 仕事からの帰途、電車の車窓風景を写真に撮っていた。甲府駅から西へ2つ目の塩崎駅と次の韮崎駅の間に川が流れていて、鉄橋を渡るときに国道にかかる橋の向こうに富士山が見えるものだからカメラを構えてシャターを押すと、前に座っていたおじいさんが「あまりよく撮れないでしょうね?」というので、ほら、富士山も写りましたよと液晶画面を見せると、「佐田啓二が事故で死んだのはこの橋だよ」という。そういえば、すっかり忘れていたが、以前別の老人からも同じようなことを聞かされたことがあった。ネットで調べると、蓼科の別荘に奥さんと滞在していた佐田啓二は仕事で東京にもどろうとして橋の上で事故にあったのだという。運転は運転手がしていたそうだが、東京へもどるのにこの橋を渡っていたということは、まだ中央道がなかったということだろう。その頃、父親が諏訪に勤務していたという友人の話では中央道は勝沼までしか開通していなかったという。今ならば3時間余りの距離だが、その頃では東京までその2倍から3倍の時間がかかったにちがいない。道路の状況だって今よりずっと悪かったはずだ。享年37歳というから早すぎる死だ。