藁束を手に入れる(Nov. 4, 2012)

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 朝起きると天窓がリング状に凍っていた。庭にも霜が降り、土も凍結していた。グレコ母さんに知らせると、植えた苗などに藁や落ち葉を被せておいてくれという。昨年は顔の広い隣のOさんに頼んだから見つけてきてくれたが、Oさんはもう家を売ってしまった。朝の散歩のときに近所のお百姓をしている家に藁が積んであるのを見かけたので午後車で訪ねて譲ってもらえないかと頼んだら、うちも今は田圃をしていないから下の方から買ったのだと言われる。確かにこの付近の田圃はほとんど蕎麦畑に変わってしまっている。下の方というのはどの辺りを指すのだろうか。まさか白州や武川のことを指しているわけはないと思ったが、もし藁が近所で手に入らなければ米作が盛んな白州や武川まで下らねばならないだろうと覚悟を決めた。しかし、武川、白州といっても漠然としていてどこへ行ったらよいのかわからない。車の振動で腰が痛いし気分は憂鬱である。途中、朝食のパンを買おうと小淵沢のセルクルへ寄る。イギリスパンを切ってもらいながら店主に藁のことを聞いてみる。原村の方の店を教えてくれたが、確かに藁があるかどうかは確信がないようだ。と、奥さんが窓の外をみてMさんが来た、Mさんならばお米を作っていますからもしかしたらと、店に家族とともに入ってきた背の高いハンチングを被ったスマートな若者に藁のことを聞いてくれる。湿っていてもよいのならば田圃の隅に置いてあるので遠慮なくどうぞと親切にも地図を書いてくれた。田圃は大泉にあるようだ。しかし、本人は甲府に住んでいるとかで親の田圃で米を作っているらしい。早速行ってみた。いつも車で通っているレインボーラインの脇道を入っていくのだが、森を抜けると人家がたくさんあるのは意外だった。藁の束は思ったよりも沢山あり、三分の二ほど頂戴した。
 30代になって知り合い親しくつきあった友人グループの一人が53歳の若さで突然逝ってしまった。今日がお通夜、明日が葬儀だが、今の腰の状態ではとても埼玉県までは行けない。冥福を祈る。合掌。