椿公園の欅(Dec. 29, 2006)

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 暮の29日というのは、田舎の家では餅つきの日と決まっていた。なぜ29日という押し詰まった日に決まっていたかというと、臼と杵とを貸し借りして餅つきをしていたからで、我が家には臼がなかったので前の家から借り、前の家には杵がなかったので我が家が貸していたのである。一家総出の餅つきは楽しかったし、いかにも正月を迎える期待に満ちていた。
 しかし、昔からぼくが一年のうちでもっとも嫌いなのは暮から正月にかけての季節である。なぜかこの季節になると、人並みに正月を過ごしているにもかかわらず、自分が世の中の流れから外れているような気分になるのである。きっと毎年人生を手際よくリセットできないからだろう。何かを変えたいという思いと変えたくないという思いがぶつかり、こんがらがり、どうにも収拾がつかなくなってしまうようだ。
 今年の暮は淡々と過ごしていたが、ちょっとしたトラブルがあり、何とも気鬱な一日になってしまった。家を抜け出して近所の椿公園をほっつき歩いたが、上着を着ていなかったので寒い思いばかりした。欅の木も寒そうだった。幹の表面はどこかの惑星の表面のように荒涼としている。