雨の奥只見を走る(Aug. 28, 2007)

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07年8月28日(ツーリング2日目)

 6時前に目が覚める。窓のカーテンを開けて見ると、雨脚は見えなかったが、軒の庇から水が糸のようにたれている。晴天までは望まなかったが、せめて雨だけでも止んでくれますようにという淡い期待も露と消えた。
 階下のホールで朝刊を読む。内閣改造世界陸上の記事ばかりが目につく。グレコ母さんの叔父が外務大臣になっていた。テレビの天気予報では、福島県内は曇りマークと傘マークばかりだ。週間天気予報も思わしくない。
 2階の部屋にもどり、グレコ母さんの携帯に天候が思わしくないので、ツーリングは後日また行くことにして、今夜帰るかもしれないとメールを出す。雨のツーリングは慣れているし、精神的にもタフなつもりだが、天候の回復が望めないならば無理して続ける必要はないだろう。お金を残して帰り、次回のツーリング費用に当ててもよい。
 8時から朝食。リンゴジュース、スクランブルエッグ、ウィンナソーセージ、パン、コーヒーである。
 8時40分出立。主人と以前オートバイに乗っていたという男性が送ってくれる。
 喜多方に向かう国道459号線を走り始めるやびちゃびちゃと雨が降り出す。いやな降り方だ。首のところから雨が侵入し、胸の辺りに滲み広がっていくのがわかる。何とも気持ちが悪い。首からつるして上着の下に隠したカメラも心配だ。道の駅に逃げ込み、とりあえずカメラだけタンクバックに入れた。道の駅は開店したばかりだったのかも知れないが駐車場には一台の車もない。
 雨の喜多方を通り抜ける。途中、標識に従って走っていたが急に道が細くなり、国道ではこのようなことがよくあることとはいえ、心配になって洋品店の奥さんに道をたずねた。とりあえず道はまちがってないようだったが、出発しようとキックするがエンジンがかからない。大汗をかきつつ何度もキックするがらちがあかない。いらいらしながら何度も試みているうちに、ふと見るとエンジンがオフになっていた。誤ってオフにしてしまったようだ。
 国道459号線は喜多方市街を抜けると急に細い山道になった。カーブを曲がると鷹か何かが飛び立った。クチバシに平らな紐のようなものをくわえている。車に引かれた蛇だろう。
 ときどきすてきな集落がある。屋根の形に特徴があり、赤や青のトタン屋根がきれいだ。稲穂の緑も目に滲みる。快晴だったならば、道も風景も変化に富んでいるし、最高のツーリングコースなのに残念だ。まあ、いつも思うことだが、旅は多少とも恨みを残した方がよいだろう。またの機会にリベンジしようという思いが強くなるからだ。
 上着の下やグローブにしみこんだ水が耐え難くなった。ちょうどスノーシェッド(雪崩などを防ぐための洞門である)があったので、雨を避けつつ着替えをすることにした。道端で裸になるのは恥ずかしかったが、車はときどき通るだけである。ライディングウェアと下着のシャツを変えた。ライディングウェアは防水機能があるはずだが、どうやら機能が劣化してしまったようだ。専用のレインウェアを着用した。
 さて、出発しようとキックするがまたエンジンがかからない。エンジンはたしかにオンになっている。このようなことは初めてではないし、ショップのおやじさんからもかかりにくくなることがあると指摘されていたが、それにしてもかからないので焦った。いらだった。休み休みとはいえ20分もキックを続けた。汗だくになったのでヘルメットを脱いでトライ。あまりかからなのでショップに電話してアドバイスを求めようと思ったほどだ。しかし、ついに、やっと、ようやく、かかった。一度かかると何か拍子抜けするほど調子よくエンジンが回転する。
 雨は小降りになったが相変わらずだ。標識に新潟の文字が目立ち始めた。豪雪地帯らしい村落の風景に魅せられ、何度もオートバイを停める。459号線でとりあえず津川まで行こうと雨に耐えてきたが、途中で道を聞いた人が新潟の津川ですかというので津川が新潟であることを初めて知った。
 しかし、結局津川には到達しなかった。到達しなかったというよりも行かなかった。道を聞いた工事現場の人が459は12時にならなければ開通しない、49号線でならい行けるというので行くのをやめたのだ。というのも津川に着いたらそこから49号線で西会津に向かうつもりだったが、49号線に出てしまった以上わざわざ津川まで行く必要がなくなったのだ。
 49号線を20分ほど走ると道の駅「にしあいず」があった。時刻は11時50分。昼食を食べることにした。長い午後になりそうなので、ボリュームのあるものをということで天丼をたのむ。すると、ご飯の上に海老や野菜のテンプラが屹立しているような天丼が出てきた。うまいとはお世辞にも言えなかったが腹は膨れた。
 食後レストランの女性に奥只見のことを聞くがあまり知らないようだ。道の駅の前のガソリンスタンドでも尋ねたが要領を得ない。心配なのは、津川が新潟であることを教えてくれた人が、ラジオの情報として、只見線の不通を教えてくれたことだ。奥只見がどんな場所であるかわからず、天候も天候なので、果たして新潟まで越えられるだろうか心配である。
 磐越自動車道と平行して走る国道49号線を走りながら、只見から新潟へ抜けるのは止めて、磐越道で帰途につこうかと思った。会津坂下インターもすぐだ。しかし、それでは何で苦労してここまで来たかわからない。国道252号線の入り口に「只見」という小さな標識があり、それを目にした瞬間、えい、ままよと信号を右折していた。
 雨脚は相変わらずである。すれ違うトラックの水しぶきをあびる。やはり不安になり、誰かから情報を得ようと思いながら走っていると、道の駅があった。レストランと土産物屋をかねた店内はがらがらで、店の3人の女性がレジのところでおしゃべりをしている。只見のことを聞くと、2時間かかるという女性もいれば、1時間で行けるという女性もおり、まったく要領をえない。新潟に越えて高速にのりたいんですといえば、高速ならば磐越道があるではないかという。ちがうんです。どの高速でもよいというわけではなくて、奥只見から新潟に越えて高速にのりたいんですというと不思議そうな顔をする。一人の女性が「この人はそうしたいのよ」と助け船を出してくれたが、ツーリングにとって大事なのは、目的地に行きつくことではなく、どの道を走るかなのだということをわかってもらうのはむずかしい。結局、もっと奥に行ってまた尋ねてごらんなさいということになった。
 おばさんたちとおしゃべりをしたら決心が固まった。行けるところまで行こう。今までだってもっと台風の暴風雨の中を下北半島の先端まで走ったこともあるし、小雨の降り続く奥志賀の山の中を一台の車にも出会わず50キロも走ったこともある。それに比べれば、道路は広いし、人家だってある。もしも山崩れなどで通行止めということならば、只見で宿を見つけて泊まればすむことだ。
 只見川を見ながら走る。川面には霧がただよい何とも神秘的だ。只見線の線路も見え隠れする。ときどきすてきな鉄橋もある。一度電車で旅してみたいものだ。絶景に続く絶景だろう。鉄道が通じているだけに、思ったよりも開けた場所のようだ。走りながら次第に不安が消えていく。3台のオートバイとすれ違ったことも不安の解消になった。彼らはきっと新潟から峠を越えてきたにちがいない。
 途中、田島という青看板があったので地図を確認するためにオートバイを停める。田島に抜けられるのならばそれも面白いなと思ったのだが、もとより今更予定を変更するつもりはない。次にふたたびこちら方面にきた時のために地図を確認したのだ。
 地図を眺めていると2台のBMWが通り過ぎ、前方の赤信号で停車した。その2台も新潟に抜けるらしい。一定の距離をおいて2台の後に続く。やがて前方にそそり立つ巨大な田子倉ダムが見え始めた。道は急な山道になる。渓谷がきれいだ。2台にはだいぶ引き離される。
 ゆっくりとワインディングを上って行くと、急に開けた場所に出た。目の前にダム湖が広がっている。2台のBMWダム湖を見渡せる駐車場に停まっており、ライダーたちはちょうどヘルメットを脱ぐところだった。一瞬ぼくも駐車場に入ろうと思ったがそのまま通り過ぎる。道は眼下にダム湖を見ながらさらに高度を上げて、ついに六十里峠に到った。高所恐怖症のライダーならば震えるような路肩にSRを停め、跨がったままデジカメで写真を撮る。雨と風、そして山々にかかる霧、急にひどく寂しい気持ちにとらわれる。そういえば、今日は走っている時間の80%は前後に一台の車のない状態での走りではなかったか。だから2台のBMWの後をつけようと思ったのにちがいない。
 六十里峠を越えれば新潟である。冬期はともかくさほどの難所ではないようだ。山を下れば、雪国の集落が青々とした稲田の間に見える。只見線の赤さびた鉄路もやはり見え隠れしながら続いている。目指すは関越道の小出インターである。
 小出が近づくと山古志という青看板が見られるようになり、柏崎の看板とともに、いやが上にも地震を思い出す。走っている沿道の家々には地震の被害は見られないように思えたが、実際にはどうだったのだろうか。
 喉が渇いたのでセブンイレブンで缶コーヒーでも買うことにした。時刻は4時過ぎ。道の駅にしあいずを出たのが1時過ぎだったから3時間で小出まで来れたわけだ。もっとずっと長い時間走っていたような気がしたが意外に短時間で新潟に抜けられたわけだ。
 セブンイレブンでは、いかにも新潟らしいというべきか、日本酒の地酒も売っていた。目黒五郎助雪中貯蔵純米吟醸原酒という酒の五号瓶があったのでお土産に買うことにした。駐車場で缶コーヒーを飲んでいると、田圃の中を只見線の電車が通っていく。2台のBMWも通り過ぎた。
 小出インターから関越道にのってもよかったが、まだ時間も早いし、お金の節約のために、国道17号線をしばらく走ることにした。雨は相変わらず降ったり止んだりである。
 南魚沼市の五日町や六日町を抜け、塩沢石打から関越道にのる。風雨の中を飛ばす。今回はSRを見直す旅になったが、高速でも結構スピードが出るので感心した。エンジンの鼓動も気持ちよい。濡れた路面でもまったく不安なく走れたのも驚きだ。
 長い関越トンネルを抜けると、道路は乾いていた。というよりも雨の痕跡はなかった。雲は多いが、青空も見える。やはり乾いた道はよい。
 赤城高原SAでしばし休憩することにした。二輪の駐車場には3台のオートバイが停まっていたが、2台はあのBMWだ。もう1台はキャンプ道具を満載していたからたぶん北海道ツーリングの帰りだろう。
 食事を終えて出発の準備をしているBMWのライダーに只見から来たんでしょうと話しかける。群馬のライダーで日帰りで喜多方にラーメンを食べに行き、只見経由で帰ってきたのだという。
 お気をつけてと挨拶して2台のBMWが去った後、もう1台のライダーも食事を終えてきた。やはり北海道ツーリングの帰りだという。往きは青森からフェリーで北海道に行ったが、帰途は船でゆっくり休みたいので19時間かかる新潟行きのフェリーで帰ってきたという。たしかに、往きはよいよい帰りはこわいで、北海道を走り回った後、青森から自走して帰ってくるのは辛いことだろう。
 午後7時半、高坂SAでラーメンを食べ、給油して一気に帰る。東の空で雷光。何とか雨に見舞われずに帰れるかと思ったが、家まで後2キロというところで激しい雨に見舞われてしまった。帰宅は9時。2日間の走行距離は882キロ、今日1日の走行距離は462キロ。