越前海岸ツーリング(2日目)2

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 三方湖レインボーラインはオートバイ雑誌などでしばしば紹介されるし一度走ってみたかった。ここでもナビにレインボーラインの東の起点まで導いてもらう。ここは、地図を見てもわかるが、かなり入り組んだ地形で、ぼくのような始めての人間はたちまち自分がどこにいるかわからなくなってしまうだろう。
 レインボーラインはもっと華やかな道かと思ったが、標識の従って道を右折すると、ほとんど眺望のない、何ともさえない普通の山道である。さほどきつくないワインディングを数分上ると料金所があり二輪は700円取られる。いつもならば料金所のおじさんと軽口のひとつもたたくのだが、疲れてもいるし、料金の高いのに腹が立って口もきく気になれない。
 料金所を通過してすぐ野生のサルと遭遇した。道を横切り、フェンスの影に隠れると、それ以上逃げようともしない。よほど観光客になれているのだろうか。しかし、それにしてもその観光客がいない。まったく車ともすれ違わない。何だか自分ばかりが高い料金を払って走っているようでいよいよ腹が立ってきた。しかし、ある場所で潅木の隙間から複雑に入り組んだ海が見えたときにはなるほどと思った。たしかに眺めは一級品だ。右にも左にもすばらしい風景が広がっているのだ。今日は風景が霞んでいるのが残念だ。
 レインボーラインの反対側の出口から出ようと下っていくと、今度はバスや車やオートバイトすれ違う。料金所を見て愕然とする。5時過ぎたから料金所の係員が店じまいしたのか、もともと閉まっていたのか、いずれにせよ、こちらから入れば700円払わずにすんだのである。すばらしい風景を見てようやく怒りを鎮めたのにまた腹が立つ。
 どこをどう走ったのかわからないが、東伊豆を走っているようだと思っていると、道が急に細くなった。1車線、広くても1.5車線しかない道だ。切り立った高い崖の中腹を走っていることは樹間から見える海の様子でわかる。いやなことになったと思ったが、前を郵便局のバンが走っているからには問題はないだろう。とにかく、終日走り詰めで疲労の極にあるから慎重の上にも慎重に走った。
 やがて事なきを得て、道路は2車線になり、国道162号線と出会った。この国道162号線京都府美山へ導いてくれるはずである。しかし、その前に小浜市にとりあえず到達しなければならない。小浜市に到達すれば、今回の旅の目的である青森県山口県の間の日本海沿岸走破が完了するのだ。そして、思わせぶりはしても意味がない。ことは午後5時ごろに簡単に成就したのである。誰も祝砲は上げてくれないけれども、そうだ、最近ずっと止めていたが、今夜はビールを飲もう。
 目的を達成し、小浜市から意気揚々と国道162号線で美山に向かう。162号線は小浜市内でぐしゃぐしゃになっているようでナビがなければ完全に迷子になっていただろう。しかし、一度162号線を走り始めると、ほとんど迷うことのないか快適この上ない道で、京都辺りの走り屋の大好きな道なのではないだろうか。何台か、センターラインが黄色にもかかわらず、恐るべきスピードで危険な追い越してしていくオートバイがあった。
 峠を下り美山に至ると、そこはまさに写真などで見るどこか懐かしい美山の風景である。狭い地域に藁葺きの民家が固まっているのかと思いきや、美山はいくつもの地区に分かれた広い地域を指すようで、走りながら左右を見ると、黄色く熟れ始めた稲の向こうに藁葺き屋根の民家や瓦屋根の特徴のある屋根の家々が続くのだった。
 今夜の宿木むらは国道162号線沿いにあるのだろうと思っていたが、ナビは府道12号線に右折せよと命じる。田園地帯を数分走ると、道路の右側に木むらの看板があった。途中まで入ってみたが、何件か家はあるものの、民宿らしい家屋は見当たらない。オートバイを停めて、奥に続く細い道を歩いていくと、奥に藁葺きの民家が見えてそこにも木むらの看板が出ていた。しかし、道はさらに狭まっているようで、オートバイで乗り入れられるかどうか不安である。
 木むらの携帯から電話して聞けば大丈夫だという。恐る恐る乗り入れると、すてきな藁葺きの民家があり、前に車が1台駐車してある広い駐車場があったが困ったことに小石がごろごろしている。乗り入れたらユーターンなどが大変だ。玄関で声をかけると女性が出てきたので事情を話してどこか適当な場所がないか尋ねると、屋根つきの場所があるがどうかといわれる。屋根つきはありがたいが、そこにいれても出し入れで苦労することは目に見えているが、駐車場の反対側にも出入り口があることがわかりそこに駐車した。
 玄関の三和土には男物と女物の靴が2足並んでいた。囲炉裏のある部屋が客の食事をする場所のようですでに先客が夕食を食べていた。女主人が部屋に案内してくれる。宿泊施設にするために建増ししたと思われる渡り廊下の先の案内された部屋は、入り口をみてびっくり、何と土蔵である。思わず、土蔵ですか!と声を上げると、申し訳ありませんねえ、他にしますかと言われたが、いえいえ、結構です、いい話の種になりますからと答えると、悪い意味で話の種にされるのかと誤解されたようだが、もちろんよい意味である。江戸川乱歩がたしか土蔵に住んでいたのではないだろうか。他にも誰かがそんな生活を書いていたような記憶がある。窓のない十畳ほどの部屋でいかにも落ち着いて仕事などができそうだ。ぼくもこんな部屋がほしいと思った。
 終日走っていたので汗でどろどろである。夕食の前に風呂をつかわせてもらう。さっぱり汗を流して囲炉裏の部屋で夕食を頂く。今日は本州日本海沿岸完全走破を祝って、この1年ばかりほとんど止めていた(ときどきは飲まないこともなかったけれども少量だ)ビールを頼む。ビールが旨い。鳥肉のすき焼きがぐつぐつ煮えてよいにおいを発している。
 夕食を終えていたご夫婦の奥さんのほうが、大きなオートバイのようですねと話しかけてきた。話しているうちに、お二人の娘さんとぼくが接点があったものだから、話がはずんだ。ぼくもいつになく口が軽かったのは、完全走破を達成したこともあり、また、久しぶりに飲んだビールの酔いも手伝っていたのだろう。お二人は牧師さんだということで、今までに住んだ任地の話などを聞かせてくれた。喜界島など島の人々のことや生活の話が興味深かった。
 部屋にもどって今日のツーリング日誌を認め、その後は地図を広げて明日のルートを検討する。八王子まで数百キロ走らなければならない以上高速は避けられないが、それは出来るだけ避けたい。最初は、京都から高速にのり、岐阜のどこかで高速を下りて下道を走ろうと思ってたが、地図を見てたら、暑いのに大都会の渋滞の中を走るのがいやになったし、それに東名、中央高速で帰るにしても、美山からならば、小浜方面へ向かい、琵琶湖の北部を抜けて北陸自動車道に出た方がアクセスがよさそうだ。明朝、朝食のときにご主人に聞いてみることにする。
 今日の走行距離は293キロ。高速を利用しなかったので距離は稼げなかったが、その倍以上走ったような充実感と疲労が体全身に残っている。